#005 ハートじかけのオレンジとビートルズ


 大滝詠一さんによれば、ポップス史には、明確にラインを引ける区切りがあるのだそうです。ロックンロール誕生からビートルズ登場以前にあたる「BB(Before Beatles)」と、それ以降にあたる「AB(After Beatles)」との境い目が、その区切りという考え方です。具体的には、“until 1963 / from 1964”の時期にあたります。これは、若き日の大滝詠一さんに影響を与えた亀渕昭信氏や木崎義二氏、そして朝妻一郎氏も共通の認識なのだそうです。

 この認識をふまえて、大滝詠一さんは、こう述べています。

 『55年(或いは56年)の《ロックンロール誕生》時も同じような構造でしたが、あれはアメリカの“国内”で起きたことでした。64年は“英国”からの改革というのが、“アメリカン・ポピュラーミュージック史”としては全く新たな現象でした』

 『私の役目は《63と64》の間がどう“繋がっているか”を明らかにすることではないかと、そう思っております』

 このあたりのテーマに関わる曲として思い当たるのが、大滝詠一さんの1982年のシングル曲「ハートじかけのオレンジ」です。

 「ハートじかけのオレンジ」の曲中には、名曲「ミスター・サンドマン」(Mr.Sandman)のフレーズが印象的に挿入されています。多くの歌手が歌っていますが、アメリカで人気を誇った女声コーラス・グループのコーデッツのバージョンが有名で、音楽史にロックンロールが登場した1955年の前の年、1954年に全米1位の大ヒットを記録しています。「サンドマン」とは、子どもの目に砂をかけて睡眠をさそう『眠りの精』のことなのですが、同年にこの曲がヒットしたことを象徴的にとらえ、「1954年を最後に古き良き時代のアメリカ音楽は眠ってしまった」と、よく例えられるのだそうです。

 「ミスター・サンドマン」の歌詞の一節は、佐々木南実さんの訳によれば、こんな感じです。

  サンドマン 夢みたいな彼を連れてきてちょうだい   見たこともないほど可愛い彼にしてね
  私は遊び歩くタイプじゃないと彼に伝えて
  そして私の寂しい夜はもうこれで終わりだと言って

  サンドマン 私はひとりぼっちなの
  私のものと呼べる人がいないの
  あなたの魔法の光線を発射して
  ミスター・サンドマン 夢のような彼を連れてきて

 一方、大滝詠一さんの「ハートじかけのオレンジ」の歌詞は、松本隆氏によるもので以下のとおりですが、「ミスター・サンドマン」の歌詞とも重なる部分があるようです。

  テキーラの 夢のあと ベットに君がいた
  オレンジの ペティコート 記憶もあやふやさ
  
タイムスリップで 現れたの?
  まどろみの美女に ときめいて 気もそぞろ
  時限爆弾 抱くみたい ハートは舞い上がる

  時報通りに 目覚ましベル
  つぶらな瞳あけて Baby接近遭遇
  あどけない ほほえみに 教えて! 君は誰

  出会いは七不思議 奇跡のKISSのアーチェリー   

  四次元の 夢のあと ベットに 君がいた
  ハートは空中戦 レーザー・ガン パニックさ

 大滝詠一さんは「ミスター・サンドマン」に、“とあるイメージ”を象徴的に込めて、「ハートじかけのオレンジ」の曲中に引用しているのではないかと思います。
 すなわち、「ビフォー・ロックルンロール」と「アフター・ロックンロール」の端境期における旧来のアメリカン・ポピュラーミュージックの幕引きの象徴として語られる「ミスター・サンドマン」を、「ハートじかけのオレンジ」の曲中に登場させることによって、「BB(Before Beatles)」と「AB(After Beatles)」の境い目にも同様の「幕引き」のイメージを、重ねているのではないでしょうか。

 大滝詠一さんの中でその端境期のイメージは、どのように捉えられているのでしょう。いま一度、大滝詠一さんのことばを反復してみますと…。

 『私の役目は《63と64》の間がどう“繋がっているか”を明らかにすることではないかと、そう思っております』

 ビートルズは1964年2月にアメリカに上陸し、大成功を収めました。これを機にローリング・ストーンズ、デイブ・クラーク・ファイブ、ハーマンズ・ハーミッツ、アニマルズ、キンクス、ザ・フーなどのイギリスのバンドが続々とアメリカに進出し、3年ほどの間、全米チャートを席巻しました。これを、音楽史の用語でブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion=イギリスの侵略)と呼んでいます。

 「ハートじかけのオレンジ」の歌詞に目をやると、眠りを覚ます目覚ましベルに、時限爆弾、空中戦、レーザー・ガンにパニックと、まさに平穏が破られる様をあらわすタームが登場します。曲中の効果音も、迫りくるザッザッザッザッという行進風のクツ音やら、爆撃音やらが聞こえます。これらから推し量るに、英国からもたらされたアメリカン・ポピュラーミュージックへの改革のイメージは、大滝詠一さんの中では、けっこう衝撃的なものとして受けとめられているようです。

 ちなみに、この迫りくる「ザッザッザッザッ」という効果音の元ネタは、まさにブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドであるデイブ・クラーク・ファイブの「ビッツ&ピーセス」の一節だと、その昔大滝詠一さんがほのめかしていたのだそうです。

 「ハートじかけのオレンジ」の中には、「ビッツ&ピーセス」の他にも元ネタ曲、下敷きソングがあるようです。

 1964年にビートルズが上陸して来ようという時、アメリカの音楽シーンは、1955年からのロックンロール・ブームが終息して、リッキー・ネルソン、コニー・スティーブンス、ポール・アンカなどの白人アイドルによる甘く健全なポップスが親しまれていました。また、ビーチボーイズとジャン&ディーンの両者を双璧とする、サーフィン・サウンド、ホッド・ロッド・サウンドが一大ムーブメントになっていました。

 そんな状況を反映してか、「ハートじかけのオレンジ」のBメロ「♪タイムスリップで現れたの? まどろみの美女にときめいて〜」の部分は、ジャン&ディーンの「I FOUND A GIRL」(邦題:渚のガール・ハント)から引かれているようです。

 上陸後のビートルズの大人気ぶりを目の当たりにして、1966年にその対抗馬として、米国内でのオーディションを経て結成されたのが、ザ・モンキーズ(The Monkees )です。リード・ボーカルのデイビー・ジョーンズが、モンキーズ参加の前の年にソロで歌った曲に「Dream Girl」(邦題:虹のドリーム・ガール)という作品がありますが、大滝詠一さんは「ハートじかけのオレンジ」のAメロの部分、「♪テキーラの 夢のあと ベットに君がいた〜」で、その曲の影響を受けているようです。
 あまりにも有名で世界中に熱心なファンの多いモンキーズそのものではなく、デビッド・ジョーンズのソロから引用してくるところが、大滝さんらしい気がします。

 大滝詠一さんは同様に、あまりにも有名で世界中に熱烈なマニアの多いビートルズのイディオムをあえて避けて、自身の作品の中にはその影響を投影して来なかったように思います。

 「空飛ぶクジラ」
 「恋するカレン」
 「FUN×4」
 「白い港」
 「いちご畑でつかまえて」
 「イエローサブマリン音頭」
 「うれしい予感」

 これらの曲で、「イエローサブマリン音頭」を除いて、かする程度に触れている程度です。しかし、大滝詠一さんがビートルズ・マニアであることは間違いないでしょう。ナイアガラ・トライアングルのメンバーの伊藤銀次さんが明かした大滝さんとの逸話が興味深いものです。それは二人が出会って間もないころのやり取りです。

 大滝「君はマージービートが好きなんだって」
 銀次「ええ」
 大滝「じゃあ、ビートルズも得意なんだろ」
 銀次「ええ、まあ」
 大滝「じゃあ、ビートルズが契約したレコード会社を最初     から全部言ってみろ」

 特にアメリカでは、後にキャピトルに集約されたもののデビュー当時売れるアテもなかったビートルズの曲はシングルごとに別レーベルからバラバラに売り出されていたそうです。大滝詠一さんは、英国でのデビュー当初からのも含めてビートルズのリリース史を完璧に覚えていたのだというのです。

 こうしてみると、「ハートじかけのオレンジ」の歌詞中に登場する「四次元の 夢のあと ベットに 君がいた」の「君」というのはビートルズの隠喩なのではないか、そんな気もします。

 くどいようですがもう一度、大滝詠一さんのことばを反復してみ ましょう。

  『私の役目は《63と64》の間がどう“繋がっているか”を明らかにすることではないかと、そう思っております』

 ビートルズが「抱きしめたい」と「シー・ラヴズ・ユー」で全米の年間売上1、2位を独占した1964年以降に何がどう変わって行ったのかを考えることで、それ以前とどう「繋がっているか」も、おのずから分かってきそうな気もします。
 先に挙げたジャン&ディーンの「I FOUND A GIRL」を作曲した、PFスローン(P.F.Sloan )はヒット曲の作家から、自ら歌う歌手へと転身を図ろうしたミュージシャンですが、自身のヒットはかないませんでした。モンキーズは、英国のビートルズに負けまいと米国内のオーディションでかき集められた急ごしらえバンドの印象がつきまといました。
 作家チームに支えられた白人アイドルによる甘く健全なポップスが流行っていたという「63」までに比べて、「64」からの大きな変化といえば、ビートルズによって、自ら作った楽曲を自ら演奏して披露する「自作自演バンド」の魅力が知られ、その影響が後進のミュージシャンたちに波及していったことだと思います。

 「ハートじかけのオレンジ」のタイトルは、スタンリー・キューブリック監督によって映画化されたことでも知られる、1962年発表の小説「時計じかけのオレンジ」をもじったものでしょう。全体主義的な社会と自由放任による荒廃とのジレンマを風刺するために、未来の管理化社会を舞台にして、あり余るエネルギーをもてあそぶ若者の反抗を描いた作品です。そこでは「時計じかけのオレンジ」は、まるで中身が機械じかけでできている人間だ、という様子を指して使われていました。

 「自作自演バンド」のビートルズは管理された機械じかけではなく、まさに「ハートじかけ」なのだ、そんな意味合いがタイトルに込められているのかもしれません。
 だとすれば、アメリカで自作自演の先鞭をつけていたグループ、ビーチボーイズの存在などは、「63」と「64」の繋がりに一役かっているのかもしれない、などと考えられます。

 そのあたりの解明は、大滝詠一さんが言われるところの「役目」をはたされる時まで、しばしの間待ちたいと思うのです。


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